【読書】和食の文化史

野菜の運び手は仏僧が多かった。大航海時代以降になるとポルトガルやスペイン、その中には宣教師がかかわったと考えられる。宗教が食文化や食事の伝播に影響したことが窺われる。

 

。。。そうした記憶が残っているからだろうか、イモ、はあまり良い意味には使われない。

 

インゲンマメはアメリカ原産で、日本には僧隠元が持ち込んだ。

 

加えてブタは雑食なので、都市部で多量に出る残飯の処理にも適していた。

 

九州の生産、消費が多い背景には、江戸時代の福岡藩の鶏飼育奨励策があったようだ。

 

乳酸菌も漬物などの発酵食品に欠かせない重要な微生物である。乳酸菌は野菜の葉の表面などに自生している。

 

愛知県岡崎市には八丁味噌と呼ばれる豆味噌の産地がある。八丁は地名、岡崎城から八丁離れたところにあったことによる。

 

京都や大阪のいわゆる白みそは、コメの量は大豆の2倍に及ぶものがある。白みそは、公家のみそ、でもあった。

 

トマトも干せば強いうま味を出す。グルタミン酸が多く含まれるからだ。イタリア料理などでドライトマトが使われるのもうなづける。

 

九条ネギは葉ネギだが、寒い地域の為、冬の寒さに耐えるために土寄せして栽培される。

 

粽を公家の菓子とすれば、柏餅は武家の菓子である。

 

和食にあってはーとくにハレの日の食に顕著であるがー、植物性の素材を使って飾りつけをすることが多い。多くは季節性の演出に使わられる。かいしき、などとも呼ばれる。

 

懐石料理に使わられる「八寸」は、もとは八寸角の皿で、その上にいくつもの料理を並べる。料理の数は奇数が基本だが、茶懐石のルールを踏襲して、左手前に山のもの、右奥に海のものを置く。つまり、八寸の板が海と山の世界を表している。

 

一汁三菜の場合、さいころの5の目の位置に料理を置く。つまり、左手前に飯、右手前に汁、左奥と右奥に副菜、そして真ん中に香の物、という具合である。汁を飯の奥に置くケースが多いのは近畿地方を中心とする西日本で多く、とくに京都、大阪、兵庫ではその割合が70%を超えたという。

 

江戸時代の中ごろになると、西日本ではサツマイモの栽培が盛んになる。かて飯の混ぜ物にはサツマイモがよく使われた。その影響は、20世紀後半の、高度成長期ころまで残ったのである。

 

奈良漬とは。。。塩漬けにしたウリを味醂粕に幾度も漬け直してつくるもので、漬物のなかでも古漬けの代表のようなものである。

 

江戸の米市場の米粒は、大阪の堂島市場のそれに比べると10%も小さかったという。

大粒の米は高値で取引されたが、小粒の米はよく買いたたかれた。

 

今のこしひかりは、一粒22ミリグラム程度、25ミリグラムの米といえば、今の日本ではいわゆる酒米か、それより少し小さい程度。日本を代表する酒米「山田錦」は特別大粒でだいたい28ミリグラム程度、とされる。

 

大きな米粒には、その中心部に空気の層が入ることがしばしばあり、外見的には中心部分が白く濁って見える。これを心白というが、心白の入った米は飯用には好まれず、一方酒米では麹菌が米粒の中心にまで速やかに入り込むほうがよく、心白の性質はうってつけ。

 

穀類と違い野菜は長時間の輸送には耐えられなかった。。。東京の練馬ダイコンやコマツナ、京都の九条ネギ、賀茂ナス、大阪の守口ダイコン、天王寺カブラなどがその代表である。

 

排泄物はしばらく発酵させ、微生物による分解を経ないと肥料としては使えない。それに何より排泄物は病原菌の巣である。

 

田舎を誇る新たな動きも出始めている。かつて朝廷に食材を提供してきた御食国。若狭、志摩、淡路の三つの国である。

 

武士にせよ職人にせよ、これらの職業は男のそれであった。だから江戸の街には男が多く、一説によれば、江戸市民の70%は男だったと言われる。そして、その多くは単身者だった。

 

室町時代に入ると、麩やうどんなどの小麦食品が禅僧らによって中国から持ち込まれた。

 

屋台は食べるための空間を提供しなくてよい営業の形態である。開業にかかる資本が少なくて済むので、新規参入者には都合のよい業態である。加えて、移動が可能なので、大災害の後に被災者に食を届けるのに都合が良かった。

 

関東地方から北の地域では、同じ緯度でも、日本海側の地域の方が年の平均気温が高い。太平洋側では、北からの寒流が南下するのに対して、日本海側では暖流が北上している。日本海側の東北地方は古くからの米どころであった。春先の気温が高ければ播種を早めることが出来たのである。

 

西日本でよく消費されたタイは、大阪や京都の正月に「睨み鯛」として出される。。。タイは「腐っても鯛」というほど日持ちがする。

 

魚の細胞がもっているタンパク質分解酵素が筋肉や骨を分解し、アミノ酸をつくりだす。腐敗菌の繁殖は、その強い塩によって繁殖は抑えられる。

 

もともと北前航路が開設される前から、日本海側には海の交易路が開かれていた。もともとは近江商人が松前藩からコンブやニシンを上方に運ぶ海の交易路だったが、これを利用して、今の山形県・出羽の国の米を江戸に運ぶ航路を開いたのは江戸時代初期に活躍した豪商の河村瑞賢であった。

 

北から南への航海で運ばれたものは、コンブや身欠き?、棒鱈などの産物で、反対に南から北へと運ばれたものには、丸もちや和菓子など上方の食材や文化があった。

 

幕末から昭和初期にかけ、北海道の西岸ではこれでもかというくらい大量の鰊がとれた。その最盛期には、北海道などでは巨万の富を蓄えた網元も現れた。。。とれたニシンは三枚におろして乾燥させた。これが身欠き鰊で、船で関西に運ばれた。

関西では、身欠き鰊はコメのとぎ汁で時間をかけて戻して食べる。京都ではナスと炊き合わせて食べる。また汁そばに載せたのが鰊そばという名物料理である。

 

ホヤは、東北の海でとれる小動物の一種で。。。ホヤのはらわたは塩辛で食べるほか、ナマコのはらわたと合わせて塩辛にしたものを「ばくらい」と呼ぶ。

 

魏志倭人伝には、倭の国の人々が副葬中には肉食しないと書かれている。。。。精進食の伝統は仏教以前からのものということになる。

 

伝統的な焼畑とは、山の樹々を切って下草とともに焼き、出来た草木灰を肥料に作物をつくる農法をいう。草木を根元からじっくり焼くので、焼いてしばらくは雑草も生えない。開いた土地は二三年もすると地力が衰え、また雑草も復活するので休耕する。すると土地はまた森にかえってゆく。これを繰り返すので、地域全体で見れば森林は破壊されず、また若い森が更新されるので二酸化炭素の吸収も良い。

 

出雲と言えば、いなばの白兎の話では、うさぎがワニをだましてその仕返しに皮を剥がれることになっている。このワニこそ、今なお広島県の三次、庄原地方で食べられているワニこと、サメのことである。。。。サメは血液中に大量の尿素を蓄え、それによって浸透圧を高めているようだが、死ぬとその尿素がアンモニアに変わり。。。アンモニアのおかげで肉の腐敗が抑えられ、そのために山中に運びそこで食べることが出来た。

 

地域野菜で成功した事例をみると、。。。栽培する人がいて、調理する人がいて、そして食べる人がいて、はじめて在来品種は生き残れるのである。

 

ダイコンは、青首ダイコンという神奈川県m木浦の一品種が、出回るダイコンの九割を超えるまでになった。。。1979年、それまで栽培面積の一位だった日本晴を、コシヒカリが抜いた。以後40年にわたり、コシヒカリは栽培面積一位を占めている。その面積は30%を超えている。

 

身分の高い公家たちはといえば、「昼は二時間、夜は三時間かけて食事をしていた」といわれる。江戸時代の中期以降、日本社会はシカやイノシシなど野生動物の肉を含めて肉食をしなくなっていたが、その背景には秀吉の刀狩りと17世紀後半の生類憐みの令があったといわれる。

 

武家はよく茶を愛した。とくに、室町時代以降に花開いた茶の文化を支えたのは武家であったといって過言ではない。

 

城下町は菓子がおいしいといわれる。「三大和菓子処」などといわれることもある京都、金沢、松江のうち、金沢、松江は城下町で、古くからの和菓子が多い町として有名だ。

 

茶事にかかわる和菓子には、主菓子と干菓子がある。。。。干菓子は保存も利くので、ある程度の大量生産、つくり置きが出来た。。。(落雁)。

 

八代将軍吉宗にいたっては「飯、汁、それに三つのおかず」の一汁三菜であったというし、それも贅沢だと考えていたふしがある。。。。慶喜は出された食に文句は言わないという教育を受けていたようだ。

 

町人の長屋では、揚げ物が禁止されていたという。揚げ物にかぎらず調理そのものが推奨されず、町人は屋台などの食事に頼るようになった。

 

。。。缶詰は瓶詰は、第一次世界大戦時にドイツ軍が開発した兵糧食であった。

 

食材を保存する方法。。。乾燥、塩蔵、砂糖漬け、熱処理、発酵、燻製、密閉、薬剤処理などである。

 

和食が世界遺産に登録されたときに注目を集めたのが雑煮である。。。。多くの日本人が元日には雑煮を食べ、あるいは食べたいと思う事が注目された。

 

香川県や徳島県の和三盆糖や。。。。とくに和三盆糖は和菓子の世界では欠かすことの出来ない素材となっている。

 

「鳴き声以外はみんな食べる」といわれるくらい、捨てる部位はないのがブタという食材だと言われてきた。

 

和食は、四つ足の動物を使わない食文化であるともいわれる。一方、鳥や魚は肉には加えられなかった。二本足の鳥たちは獣ではない、だから食べてもよいという理屈である。魚にはクジラも含まれた。。。イノシシの肉も山鯨という隠語を与えられて半ば公然と食べられたし、ウサギは一羽、二羽と数えて鳥であるかの扱いにした。公家の街京都でも、ハクビシンの肉が食べられていたという。

 

歴史の本などにはよく、日本で肉食が発達しなかったのは天武天皇が肉食を禁止したからだと書かれている。。。。よく読めば禁止の期間は農耕の忙しい4月から9月に限られ、しかも食べてはいけない動物にはシカやイノシシは含まれていない。

 

むしろ、日ごろの食材から動物性の食材を遠ざける大きな役割を果たしたのは秀吉の刀狩だという研究者もいる。。。それによって農民たちは狩りの道具も奪われる事になった。

 

加賀料理を代表するものと言えば、治部煮とかぶら寿司だろうか。

 

高知の料理、土佐料理と言えば、なんといっても『皿鉢料理』。大きな派手な浅めの鉢に、姿寿司、刺身、蒲鉾、揚げ物など多彩な料理がこれでもかと盛り込まれる。。。高知の食材として特記しておきたいのがユズである。。。53%が高知産。。。高知県の食のもう一つの顔が、酒飲みの文化である。。。日本酒も辛口の酒が多い。甘いとたくさん飲めないからだともいわれる。。。。「どろめ祭り」。。。この時期が「どろめ」つまり生シラスの漁期にあたることで開かれる祭りで、。。。男性は一升、女性は5合の清酒をいかに早く、しかもきれいに飲み干すかを競うコンテストで、男性、女性の優勝者はそれぞれ13秒程度、11秒程度だったという。

 

卓袱料理は長崎の料理である。。。コース料理の性格をもちつつ、かつ大皿料理である。大きな円卓で楽しむ中華料理のスタイルをとる。。。。長崎の魚で一つ書き留めておかねばならないのが「あご」だろう。トビウオのことである。。。あごの出し汁は鹿児島県から能登当たりの日本海側の地域で用いられている。

 

大都市に住む人々の食生活は明らかにいびつである。食材を入手する努力をほとんどせず、加工することも調理する事もしない人がうまいものをひたすら追い求める構図は、おそらく持続可能ではない。

 

伊豆半島は魚のうまい土地だが、だいご味の一つはその日一尾だけあがった地物の魚を、港のそばのすし屋で握ってもらうことだといわれる。一期一会の寿司というわけだ。その魚は何という魚で、どのような生体の魚で旬はいつかなど、寿司職人の話を聞きながら食べるのが一番なのだという。

 

 

 

【読書】どうする財源

税には望ましくないものに課すことで、その量を減らすという効果があります。・・・消費税は消費を抑制する。・・・それは「社会保障財源を確保する為」と言われています。・・・資本主義の下における近代政府は、財源(貨幣)を自ら創造できるのであるし、税は政府支出の財源を確保する手段ではなく、その反対に、財源を破壊する手段です。

 

国民は、追加的な税の負担はしなくてもよいのですが、別の負担を課せられるのです。・・・高インフレという負担です。・・・防衛関係以外の事業に投入できたはずの労働力や資材が、防衛力強化のために動員されることになるので、労働力や資材の需給が逼迫し、物価があがることになります。

 

防衛力の強化→米国から大量の兵器購入→経常赤字→海外金融機関が日本国債保有。

海外の金融機関は、円を入手しても自国内では使えない為、それを運用する為に日本の金融資産を購入し、とりわけ安全資産である日本国債を保有するに過ぎません。・・・・日本国債売りで金利が上昇するのが困るのであれば、日銀が買えば良いでしょう。

 

しかし、だからといって何も問題が無い訳では無い。経常収支赤字が円安をもたらし、それによって輸入物価が高騰し、高インフレになる。

 

戦時下の国民は大抵高インフレで苦しみます。この戦時下の高インフレは、急激に増大した軍事需要が供給能力をはるかに上回ってしまうから起きるのです。

 

MMTは貨幣とは国家が創造したものである、という理解から出発します。

政府は、まず、通貨を法定する。

次に、国民に対して、その通貨の単位で計算された納税義務を課す。

そして、政府は、通貨を発行し、その通貨を租税の支払い手段として定める。

その結果、通貨には、納税義務の解消手段としての需要が生じる様になり、国民は通貨に額面通りの価値を認めるようになる。そして、その通貨を民間取引は貯蓄の手段として利用するようになる。

こうして、通貨が流通するようになる。

 

MMTが、財政支出を制約するのは資金ではなく、実物資源の供給であると強調しています。

 

MMTの主唱者であるレイは、コストプッシュインフレ対策には、的を絞った公共投資を行うべきだと主張しています。

 

日本人が二度と戦争をしないようにするためには、戦力を保有できない様にする(憲法9条)だけでなく、戦費を工面できないようした(財政法4条)。

 

【読書】日本経済の見えない真実

個人消費はアベノミクス景気のもとで、わずか0.3%とほぼゼロ成長だった・・・企業収益が良好で株価も大きく上がった事を考えると、この個人消費の弱さは異様である。・・・家計の実質可処分所得が増えなかったことにほぼ尽きる。

 

潜在成長率がなぜ低いのかを理解する手がかりとして、成長会計に基づく要因分解がよく使われる。成長会計とは、GDPが経済活動の成果(Output)であることに着目し、経済活動の源泉(Input)を足し上げればGDPが説明できる、という考え方である。その場合のInputとして、通常は労働と資本の二つを想定する・・・経済成長は①労働、②資本、という二種類のInputの増加率と、それらをOutputに変換する効率の改善速度で決まることになる。この変換効率のことを、③全要素生産性という言う。

 

他の先進国と比較しても日本の成長率が低い点は、人口の減少・高齢化の影響が大きい。潜在成長率の要因分解で言えば、もはや日本で労働のInputがはっきりとプラスになることはない。

 

一人一時間当たりの経済成長率、言い換えれば生産性の上昇率は、年平均1.0%、米国では0.6%、ドイツでは0.9%と似たり寄ったり。

 

企業の現金・預金は確かに増えているが、内部留保の増え方に比べればはるかに小さく、内部留保を現金・預金として「ためこんでいる」とまでは言えない。資産サイドに見られる最大の特徴は・・・その他固定資産の大幅増は、海外直接投資はM&Aの拡大を反映している可能性が高い。

 

過去20年のバランスシートの変化には、「国内市場の低成長→グローバル展開の積極化→リスクへの備えの必要性→財務基盤の強化」というメカニズムが少なからず働いていた可能性が高い。

 

日本経済の低成長を理解する手がかりとして3点。企業による人件費の抑制、コーポレートガバナンスと経済成長の関係(配当増加)、企業が担う事実上のセーフテネットの存在。

 

アベノミクス景気の6年間で経常利益は73%増加・・・人件費をわずか6%増に抑えたことが、大幅増益の一因である。

 

企業から家計への所得波及が限られたうえに、その多くを政府に納めてしまった為に、消費に回せるお金は手元に残らなかった(税・社会保障負担増、消費税増)。

 

労働分配率は、アベノミクスの期間だけでなく・・・低下傾向にある。これは国際的にも見られる傾向であり、その背後に技術革新やグローバル化などの要因があることが、学術研究でも広く指摘されている。

 

格差が経済成長にマイナスの影響を与えうるメカニズムとして、①低所得層が十分な教育機会を得る事が出来ない、②高所得層は所得を消費に回す割合が低い一方、低所得層は所得自体辞退が制約となって消費出来ない、③債務の返済負担が中低所得層の消費を抑える。

 

日本の労働生産性(実質GDP/総労働時間)は米国を100とすれば64.8。

 

20世紀のある時期までは、多くの主要国で企業の借入が旺盛で、家計の資金余剰が企業の資金不足と概ね見合う経済構造になっていた・・・財政は均衡を保つことがたまたまちょうど良かった。ところが時代が変わり、民間だけでは資金余剰を吸収しきれない経済構造に変わっているのだとしたら、その裏側に当たる政府債務残高も、恒久的に相応の規模を維持しなければならない。

 

【読書】資本主義の次に来る世界

囲い込みは国内の植民地化であり、植民地化は国外での囲い込みだった。

 

資本主義というパズルの最後のピースになったのは、植民地経済への介入だった。・・・・自給自足経済を破壊することによって、大量の労働者だけでなく大量の消費者、つまり、植物、衣服、その他の必需品を、資本家に依存する人々を作り出したからだ。

 

農民は互いと競争し、親類や隣人とも張り合う様になった。かつての協力的なシステムは、絶望的な敵対を中心とするシステムへと変わっていった。

 

貧困とは・・・・個人が財産を持たず、生計を立てるには勤勉に働き続けるしかない状態を指す。

 

アニミズムを信仰する人々は、生態系が再生できる量より多くは取らない様に注意を払い、土地を守り修復する事で生態系にお返しをしている。

 

国は労働を強制する法律を導入し始めた。

 

デカルトの身体論は、人間の労働を自己から切り離し、抽象化し、自然と同じく市場で交換できるものにした。土地や自然と同じように、労働も単なる商品に変貌したのだ。

 

労働者を生み育てる労働者、・・・女性には賃金を支払わなかった。

 

スペイン人はアメリカ先住民族をnaturalsと呼んだ。

 

デカルトは、科学の目的は、人間を自然の支配者、所有者にすること、だと主張した。

 

絶滅しかけている種は、向こう側の、環境の中にいて、わたしたちの一部ではなく、ここにはいない。

 

地元のレストランが具体的な必要を満たすことを目指すのと違って、交換価値を蓄積するこのプロセスに明確な終点は存在しない。それは根本的に人間の必要という概念から切り離されたものなのだ。

 

資本家の観点に立てば、利益に意味はない。肝心なのは成長率なのだ。

 

なぜ投資家は飽くことなく成長を追い求めるのだろう・それは資本を動かさなければ、インフレや市場の変化などのせいで価値が下がるからだ。そのため、資本家のもとに集まった資本は、成長への強力なプレッシャーになる。資本が蓄積すればするほどプレッシャーは増していく。

 

資本は、蓄積を阻む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびに、・・・それを破壊し、新たな成長の源へ触腕を伸ばしていく。これが「解決策」と呼ばれるものだ。囲い込み、植民地化、大西洋の奴隷貿易、全てがそうだ。

 

GDPは「悪いこと」に無関心なだけでなく、「良いこと」の大半にも無関心だ。貨幣価値に換算できない経済活動については、たとえばそれが人間の生活と幸福にとって重要であっても、ほとんど計算に入れない。

 

イギリス政府はそれ(OECD憲章)に倣って、10年間で50%という成長率を目標に設定した。。。。この時、初めて成長そのものが、国の正式な政策目標になったのである。

 

この介入のせいで、過去数十年間で世界の不平等はかなり広がった。現在、グローバルノースとサウスの1人当たりの実質国民所得の差は、植民地政策末期の4倍になっている。

 

各国政府は気が付くと、労働者の権利の削減、環境規制の緩和、公用地の開発業者への払い下げ、公共サービスの民営化など、国際資本が喜ぶことは何でもするようになっていた。

 

世界中の政府が新たなルールに縛られている。それは「生産高を上げて賃金や社会サービスを向上させることを目指すのではなく、成長そのものを追求せよ」というルールだ。

 

資本主義のもとでは企業は常に、生産コストを下げるために労働生産性を向上させようとする。労働生産性が向上すると、企業が必要とする労働者の数は減る。その結果、労働者は解雇され、失業率が上昇し、貧困とホームレスが増える。そうなると政府は、新たな雇用を創出するために、さらなる成長を促進しようとする。これは「生産性の罠」として知られる。

 

債務の罠は、成長を最も強く要求するものの一つだ。。。。投資家が国債を買い続けるために必要とする「成長への確信」を彼らに持たせることだ。

 

石炭から石油と天然ガスへのシフトは、エネルギー転換ではなくエネルギーの追加なのだ。

 

資本主義自体が、人口を増やせとプレッシャーを生み出している。人口が増えれば労働者が増え、労働が安価になる一方、消費が増えるからだ。

 

クリーンエネルギーへの移行は莫大な量の金属と希土類を必要とし、それらの採取は生態系と社会にさらなる負荷をかける。

 

電気自動車への切り替えはすべきだが、最終的に必要なのは車の数を大幅に減らすことだ。

 

世界のリチウムの大半が採掘されているアンデスでは、採掘企業がリチウムを含む地下水を大量に組み上げるせいで農業用水が枯渇し、農民の多くは土地を捨てざるを得なかった。

 

地球の大気は信じられないほど複雑だ・・・わたしたちはスーパーコンピューターでモデリングを進めてきたが、地球の大気をモデル化する方法はまだわかっていない。

 

石油企業は残っている石油に到達する為に、府ラッキング、深海掘削、その他の「きつい仕事」に頼らざるをえなくなり、同じ量の燃料を得るために、より多くのエネルギーと資材を使っている。

 

GDPと資源消費の絶対的デカップリングは、世界規模では到底不可能である。

【読書】お金の賢い減らし方

となりに蔵がたちゃ、わしゃ腹立つ

 

ウルトラマンも大岡越前も公務員。バットマンもサンダーバードも大富豪が慈善事業で悪と戦っている。

 

世界で初めて先物取引が行われたのは、江戸時代、大阪・堂島の米市場だと言われている。

 

お金や財産は自分で守るもの、貯蓄に興味がない、でも困った時は「講」を使ってみんなで助け合う、というのが、江戸時代から明治の初めまでの日本人の国民性だった。

 

前島密は、貯蓄することでお年寄りや子供を養う事が出来る、という道徳的な面を強調し、小学校から「勤倹貯蓄が美徳である」という教育をしていった。

 

現代の日本人のお金に対する感覚を一言で表すと、「貯蓄と博打が大好き、でも投資ははよくわからないのでやらない」

 

最高神である天照大神は、高天原で機織りをしている。

 

貨幣が信用(負債)である。

 

お金は税金を払う為のクーポン券。

 

企業の存在意義は、「世の中の課題を解決する」ことにある。

 

投資というのは、「今すぐに必要としないお金を、いま必要としている人に回してあげる」ということ。。。。お金を回してくれた感謝のしるしとして「配当金」が支払われる。

 

投資も寄付もしない。すなわち、日本人は、人の為にお金を使う、ということをいかにしていないか。

 

介護に必要なお金は、本人負担分が月額8.3万円、一時金として必要なのは74万円が平均。介護期間の平均が5.1万円なので、合計約600万円ぐらい必要。

 

新しい富裕層の興味は、「新興企業への出資」、「現代アート」、「教育」、一方、50~80歳代に多い富裕層の興味は、「資産運用」、「節税」、「相続」。

 

人は用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。しかし、どこかにあります。雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。

 

明治時代の林学者であり造園家でもある本田静六という人がいます。彼はその著書「私の財産告白」の中で、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない」と述べています。

【読書】The Psychology of Money

「年をとったら働かずに老後生活を送る権利がある」という概念自体、せいぜい2世代前に生まれたものにすぎない。第二次世界大戦前までは、アメリカ人は基本的に死ぬまで働いていた。

 

世間では、恵まれた環境に生まれた人間を野球に例えて「3塁ベースから人生をスタートさせた」という。

 

一歩前進するごとに、ゴールポストが2歩前に動く。・・・結局それに追いつくには、大きなリスクをとるしかなくなる。

 

幸福とは、「結果から期待値を差し引いたもの」

 

他人と収入を比較してもきりがない。唯一勝てる方法は、最初から戦わないことだ。

 

ラスベガスで勝つためのたった一つの方法は、カジノに入ったらすぐに出口に向かうことです(カジノのディーラー)

 

人間に幸福感をもたらす信頼性が高い要因は「人生を自分でコントロールしている」こと。

 

現代人は、1950年代の製造業の労働者よりロックフェラーに近い仕事をしている。つまり、就業時間になって工場を出たら一日の仕事が終わりではない。常に頭の片隅で仕事のことを考え、仕事とPrivateの区切りが無いと感じている。

 

・・彼らが大切にしていたのは、温かな友情、高貴で大きな目的のための活動への参加、こどもたちとゆったり過ごす充実した時間などだった。

 

人間が計画すれば、神が笑う。

 

優秀な人間が失敗するのは、たいてい傲慢さが原因だ。

 

知性の競争が激化し、従来の技能の多くがテクノロジーに取って代わられた世界では、競争で優位に立てるのは、コミュニケーション能力や共感力など・・・なかでも重要なのが、柔軟性を持つことなのだ。

 

発熱が有益であるにも関わらず・・・発熱は辛い、人は辛い思いをしたくない。

 

物事は時間とともに変化するーこれは経済学の基本中の基本だ。

 

9・11の米同時多発テロの結果、FRBが利下げを実施し、住宅バブルを引き起こした。それが金融危機につながり、雇用市場が悪化した。そのため数千万の人々が大学進学を希望する様になり、それが・・・学費ローンを抱えるという状況をもたらした。

 

景気後退の平均間隔は、1800年代後半に2年だったのが、20世紀前半には5年になり、この半世紀では8年にまで拡大した。

 

投資の世界でいちばん危険な単語は、今回は違う、だ。

 

歴史をさかのぼればさこのぼるほど、そこから得るべきは一般論であるべきだ。

 

誤りの余地を残しておくほど、どんなことにも耐えやすくなる。この耐久力があるからこそ、時間を味方につけ、長期間にわたって勝負を続け、低確率の結果からしか得られない最大の利益を手に入れやすくなるのだ。

 

私自身、自らの投資において、これから先の人生で得られる利回りの予測を、過去の平均値よりも3分の1ほど低く見積もっている。

 

個々の投資ではなく、常にポートフォリオ全体を見て成果を測る事。うまく行かない投資がたくさんあり、かなりうまく行ってる投資がごくわずかがあるという構成でも構わない。通常はそれが最良のシナリオになる。

 

作家のナシーム・タレブ「真の成功とは、ラットレースから抜け出して、心の平穏のために生きることである」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【読書】ホモ・デウス 下

現代の政治家と経済学者は、成長が不可欠である主な理由は三つあると主張する。

第一に、生産が増えれば、より多くを消費して生活水準を上げられ、しかもそのおかげで、より幸せな人生を楽しめるとされている。

第二に、人口が増えているかぎり、現状をいじするだけのためにも経済成長が必要とされる。

第三に、インドの人口増加が止まったとしても、そして、中産階級が現在の生活水準で満足できるとしても、貧困に喘ぐ何億のもの人々に対してはインドはどうするべきなのか?

世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという二種類の資源しかないことを前提としている。だがじつは、資源には三種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。

 

最も偉大な科学的発見は、無知の発見だった。

 

こうして人々は近代以降、より多くを望むことを奨励され、強欲を抑えてきた昔ながらの規律は廃された。

 

意味のない世界のために意味を見出せーこれこそが人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律だ。

 

物語る自己以上に本人の事を本当によく知るシステムがいったん手に入れば、物語る自己の手に権限を委ねたままにするのは、無謀ということになる。

 

物語る自己はピーク・エンドの法則に従う。出来事の大多数は忘れ、いくつかの極端な事例だけを記憶しており、最近起こったことをはなはだしく、過大評価する。

 

自由主義は、システムが私自身よりも、私のことをよく知るようになった日に崩壊する。

人は恐れていると、勇気に満ちているときとは違う化学物質を分泌する。

 

私たちは何百万年にわたって、能力を強化されたチンパンジーだった。だが将来は、特大のありになるかもしれない。

 

21世紀初頭の政治は壮大なビジョンを失っている。政府は単なる管理者になった。国は管理するが、もう導きはしない。

 

こうして人類は過去7万年間に、まず拡散し、その後別々の集団に分かれ、再び一体化した。

 

データ至上主義者は、情報の自由を何にも優る善として擁護する。

 

この容赦ないデータの流れは、誰も計画も制御も把握もしていない、新たな発明や混乱を引き起こす。グローバルな経済がどう機能しているのか、政治がどこに向かっているのか、誰にも分らない。だが理解する必要は無い。必要なのは、自分あてのメールにもっと速く返信する事だ。

 

人間至上主義によれば、経験は私たちの中で起こっていて、私たちは起こる事すべての意味を自分の中に見つけなければならず、それによって森羅万象に意味を持たせなければならないことになる。一方、データ至上主義は、経験は共有されなければ無価値で、私たちは自分の中に意味を見出す必要はない。

 

1.生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?

2.知能と意識のどちらの方が価値があるのか?

3.意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりも良く私たちの事を知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるか?